1

 同居人が仕事が見つからないと嘆いている。正確には、そいつが続けていけそうな仕事が見つからない。そいつは朝に弱く、体力も無く、躁鬱で、とにかくこの世界で生きていくには弱りすぎていた。そうして、何度もバイトが決まっては数日で辞めるということを繰り返しているうちに、バイトに応募する行為そのものに強い恐怖を抱いているようだった。それを知った上で一緒に住んでいる僕であるから、「僕のバイト代もあるし、僕の両親からの仕送りもあるから、数年は問題ない」と答えると、「それでも、いつ君に出て行けと言われるか分からないから、働いていないと怖い。部屋で何もせずにしていると気分が重くなってだめだ。かといって遊ぶのも罪悪感を煽ってしまってままならない」と言う。「仕事を探す勇気は出ない、しかし働かず遊ぶのも苦しい。難儀なものであるね」僕にはそれ以上の事は何も言えない。僕も実家で2年程ニートをして、毎日毎日2chだのニコニコ動画だのに身をやつしていた者であるから、結局のところ時間の経過による変化に希望を求めるしかないことは知っている。幸い、僕たちに用意された猶予は結構長いようだし、焦ることはないと思われる。

 それでも、すっかりそのことで同居人は弱ってしまっている。親の虐待から逃れて、半年前に僕のところへやってきた時から、ずっと似たような調子である。

 せめて、気兼ねなく遊び呆けるなり、思索にふけるなり、してくれればよいのだが。猶予あるうちにそういうことをしておくのは、決して無意味ではないと、僕は思うのであるが。そういったことを口にしたところで、「でも、やはり私は苦しい」と言葉が帰ってくる。結局はそいつ自身が自ずからどうにかするしか方法などないのであって、僕に出来ることなど、ただ生活費を仕送りと自分のバイト代で捻出しつつ、機を待つことのみである。